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奈良は3年ぶりの大雪

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今朝の奈良市内は積雪11センチと3年ぶりの大雪に見舞われた。この程度の雪で大騒ぎして、喜ぶのは福井や秋田の方々に申し訳ないが、住宅や店舗の至る所に雪だるまが飾られ、子供心に帰りウキウキしてしまう。 自宅前の幹線道路はひっそり静まり返り 時たまチェーンの音と共に路線バスや宅急便、タクシー、冬タイヤを履いた嬉しそうな車が走っていく。雪が降ったら巻向山!と決めていたので 桜井方面に向かったが、山は霧にかすんで何も見えなかった。 

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結局自宅近くの薬師寺に行った。3年前の大雪の時も薬師寺に写真を撮りに行っている。駐車料金、入館料が必要なので普段は車で通り過ぎるだけだが やはりここぞと言う時には絵になる寺で対価を支払う価値は充分ある。 特に国宝・金堂に安置されている薬師三尊像(薬師如来を中心に、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩)の美しさは世界でも最高の仏像と仰がれており、タダなら毎日でも見たいと思う程。 3年前は何処かの国宝展に貸し出されていてご不在だったが、今日は静かにゆっくり眺められて良かった。

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東の角に建つ東院堂は吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り建立されたもので、奈良時代には珍しく板床を敷きつめているので靴を脱いで拝観する。堂内に安置されている聖観音菩薩像さまの気品と端麗さは 初唐時代に中国を経由して流れてきたインドのグプタ王朝の影響を強く受けているとか、美しい。

そしてお目当ては東院堂のすぐそばにひっそりと・・・。中門を挟んで西の角に建つ若宮社と向き合って建つ龍王社。持統天皇の陰謀によって謀反の疑いで死を賜った大津皇子をお祀りしていると言われ、若宮社(松音大明神)で冷たい風が吹き松が揺れると、忍び泣きが聞こえ、それはあたかも大津皇子の無念の泣き声と言われるとか・・・。 ふむ、勝手に物悲しい。 

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薬師寺は天武天皇の発願、持統天皇の開眼、と創建は文武天皇の代に至り、東大寺より古い歴史と文化を持つ。金堂を中心にした東西の塔の佇まいは「龍宮造り」と呼ばれて我が国随一の壮美を誇っていました。

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休ヶ岡八幡宮 薬師寺を守護する神社、
駐車場から薬師寺に向かう途中に建つ、薬師寺へ参拝の際はまず、御鎮守さまである休ヶ岡八幡宮に詣で身を清めてからというお作法が伝えられていると書かれた大きな看板が建っている。

薬師寺は東京にも別院があるのでそれなりの宗教活動を行っているんだろうか? 一般的にはお写教道場が有名で「お経は一文字書写するごとに仏像を一体刻むのと同じ功徳があると言われ」 道場で書かせて頂いて 納経回向料 般若心境Ⅰ巻 2000円、薬師経Ⅰ巻4000円。 高い・・・・。 東大寺も薬師寺も宗教と呼ぶより学問の府、大学院のようなポジションだと思う。

連休初日にも関わらず、道路事情が悪いせいか 薬師寺はひっそりとして良かった。

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仏隆寺の善如龍王さま

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西暦805年に弘法大師の高弟 堅恵大徳が建立。その後興福寺別当により再興。堅恵大徳は弘法大師が入唐された時随行し、唐の皇帝より、茶臼と茶の種子を拝受し、山内に苔の園という「茶園」を造る。京都、埼玉、静岡、九州など我が国の茶樹栽培の起源は仏隆寺より始まったとされる。

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室生寺の南西、伊勢街道の高井から赤植川沿いに入った摩尼山にある仏隆寺は桜と彼岸花の季節、大勢の人で賑わうが 普段は歴史の重みを感じる静かな山寺。


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本堂の正面に安置された御本尊の十一面観音さまは聖徳太子の作と言われる。右側には弘法大師、左側には堅恵大徳が祀られている。また唐より拝受された茶臼は寺宝として拝観できる。

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彼岸花が最盛期を迎えていると聞いて出かけた。殆どは彼岸花目当てのカメラマンで、境内に入る人はまばら、本堂のご参拝は一人だったが、ご住職の奥様が丁寧に説明してくれた。境内に築かれた開祖堅恵大徳のお廟は即身成仏された入定所で重要文化財に指定されている。室生寺との縁は深くかつて室生寺南門と呼ばれていた。

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弘法大師は仏隆寺から室生寺に登られ、唐見の辻で休息、ここからの眺めが唐の威陽宮に似て立派であると称賛され、室生寺を真言密教の道場に定められたとの伝説もあります、

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向かって右手の天照大神をお祀りしている白岩神社の前に善如龍王さまの石碑。マイブームは龍人さまなので気になって会いに来た。

春日神社の禁足地 御蓋山内の鳴雷神社(なるいかずちじんじゃ)にお参りした時話を伺ったが 鎌倉時代に書かれた『古事談』によれば猿沢池に住まわれていた龍王さまは、巫女の身投げで穢れた池から春日の鳴雷神社の池に移られたが そこでも死人が絶えないために、室生の龍穴神社に移られた・・・。そしてココ仏隆寺に祀られたとか・・・。興味津津のお話です。 

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聖林寺

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国宝十一面観音菩薩像で有名な聖林寺の創建は古く、奈良時代に壇山神社の別院として藤原鎌足の長子・定恵が建立したと伝えられる。次第に、戒律と祈祷の寺として知られるようになり、安産・子授け御祈祷は真言密教に拠りながら独自のものがありその霊験は広く知られています。

国宝十一面観音菩薩像1868年、三輪の大神神社の神宮寺だった大御輪寺が明治の廃仏毀釈で廃寺になる前に預けられたと言われる。フェノロサ、岡倉天心らによって開扉されて以降、奈良散策のバイブルとされる和辻哲郎さんの「古寺巡礼」に「神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさ」と絶賛されて以来人々を魅了、白州正子さんの著書にも書き記されている。

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壇山神社の行き帰り通る道。桜井市下の少し奥まった山懐に建つ静かなお寺、門前や本堂の縁からは、三輪山や卑弥呼の墓とされる箸墓古墳、山の辺の道を一望のもとに見渡すことが出来る、見慣れた三輪山の眺めが印象的だった。 本堂に安置されている御本尊は子安延命地蔵菩薩さんでふくよかなお顔の大きな石仏で左右の童子とともに地蔵三尊の形式をとっています。お目当ての観音さまは階段の上に造られた観音堂のガラス張りのお堂の中に鎮座。 ※760年代に東大寺の造仏所で造られ、願主は天武天皇の孫とする説が有力。長い年月で大破していますが、さぞ華やかで見事であったと想像されミロのビーナスとも比較される仏像彫刻の優作だとか・・・・。

期待が大きかったので観音様の良さはさほど感じなかった。それより御本尊のお地蔵さまの可愛かったことと、門前から眺めた三輪山の風景に心を奪われた。 駐車場300円・拝観料400円。僻地の奈良のお寺にしたら珍しい。 私は神社やお寺に拝観する時は必ず真新しい千円札かⅠ万円札を用意する事にしている。そしてお写真を撮らせて下さいとお願いするわけだが、拝観料や駐車場を徴収する所ではお賽銭を100円にする事が多い。単なる気分的なものだが、原則的に拝観料を徴収する神社、仏閣には行かないので今回は特別参拝!! 受付の女性は無機質で愛想が悪かったのでありゃりゃと思った。

東明寺

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大和郡山市西部、矢田丘陵の山中にひっそり佇む古社 東明寺では平城遷都1300年祭記念特別秘宝・秘仏開帳として本堂に安置される木造薬師如来坐像や吉祥天立像、毘沙門天立像や寺宝などが特別開帳されています。他にも寺宝といわれる「雷様のヘソ」が拝見できます。 ※特別開帳期間中は予約不要で拝観可能 (6月28日は休み)
縁起によると天武天皇の第三皇子で「日本書紀」の撰者としても名高い舎人親王の開創といわれる。舎人親王は母君である 持統天皇が眼病に悩まされているのを哀しみ、その回復を祈って 諸寺諸社に日参していたが、夢枕に老翁に姿を変えた白髪明神のお告げがあり、さっそく霊山に登り、翁の与えた金鍋一口をもって霊井の水をすくい、この水で母君の両眼を洗ったところ、たちまち眼病は平癒したので、恩謝のためこの山に精舎を建立した。

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造営は持統天皇の7年(686年)春3月に始まり、翌年4月8日に終わった。そして、この山が金鍋納蔵の山であり、また東方浄瑠璃世界の本主で衆病悉除の医王である薬師如来を本尊とし、さらに眼病平癒を得た因縁から、この寺は鍋蔵山東明寺と号するようになった。 本尊薬師如来などの仏像はいずれも平安時代の作であり、本堂横には鎌倉時代の石塔があって、寺の創建の古さを物語っている。

●薬師如来座像:平安時代(重文指定)東明寺に伝わる最古の仏像で、桜の一木造り、堂々とした体躯で豪快な像
●毘沙門天:平安時代(重文指定)面貌をはじめとして全体的に平安時代の特徴を表す
●吉祥天立像:平安時代(重文指定)福徳を司る女神としての堂々とした貫禄

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矢田寺、松尾寺の近く、矢田坐久志玉比古神社を過ぎて矢田山中に進んでいくと、林の中で東方が開け若草山、高円山、竜王山や桜井の山々など奈良盆地を一望できる。本堂は銅板葺きの入母屋造りで、正面の向背を飾る竜や象、音声菩薩などの彩色を施している。

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本堂南わきに建つ鎌倉時代後期の造立とされる七重の石塔

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山門から仰ぐ本堂は調和のとれた景観で 新緑や紅葉の頃はわびさびの雰囲気を醸し出す

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松尾寺や矢田坐久志玉比古神社の近くなので何度か訪れたが、いつも無人なので、この機会に薬師如来さんを拝観させて頂こうと出かけてきた。記帳する、受付のすぐ眼の前に「雷様のへそ」と呼ばれる寺宝が置かれていて、ご住職が信じる信じないは人それぞれですが・・・。と軽く話してくれた。一見木のようでもあり、石のようにも見える、直径3センチくらいの球形のおへそでした

東明寺に伝わる雷さまのへそ伝説

昔、境内のひときわ高い松の木の下にカミナリさまが降りてきて昼寝をしました。庭にでたお坊さんがこれを見つけいたずらでカミナリさまのでべそを力いっぱいつかみました。驚いたカミナリは太鼓をかついで入道雲の上にかけあがりました。お坊さんの手の中にはでっかいカミナリさまのおへそが残っていました、それ以後東明寺の谷間にはあ雷が落ちなくなったとさ・・・・。いん石だとも木の実だとも言われています。

※往時を偲ばれる堂々とした美しい寺で 矢田村の氏神 矢田坐久志玉比古神社の神宮寺だったと書いたものを見たが確かでない。明治以前は神社より寺のほうが役所の役割があったので力があった事だろう。 歴史ある古社を維持管理していくのは大変だと思う。

松尾山・役行者像特別開帳

矢田丘陵の南にそびえる松尾山にある日本最古の厄除け霊場・松尾寺で平城遷都1300年祭記念特別秘宝・秘仏開帳として、行者堂内に安置されている、役行者像がすぐ間近で見せて頂けます。

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このお堂の中に鎮座しています

木造彩色・室町時代の作で総高6尺に及ぶ木造としては日本最大の役行者像です。堂内に入ってすぐに「ええっ、大きい!!」と思わず声を出したのですが、説明してくださるご住職の方から、殆どの方がまず最初に大きい!と言葉を発せられますとのことでした。予想をはるかに超える大きなお像で、頭巾をかぶり肩に蓑を着け、高下駄を履いて岩座に腰掛けいつもの役行者さんですが、大きさに圧倒されます。年越しに拝見した、金峯山寺の蔵王権現さんに勝るとも劣らない迫力でした!

杉材の木目の粗い材の寄木造りで、彩色を施しているが剥落も見られ、ちょっと痛々しい感じもする。狭いお堂の中で2時以上見ていた人もいたらしい、私も後ろ髪を引かれる想いで帰ってきたが例年9月1日~7日(修験道まつり)の期間。堂内から拝見できるらしい。

他にも松尾寺・宝蔵殿には 円空作の役行者小角像がある。像は円空独特の一木造りの小像で、簡略な彫法によって笑みをたたえた可愛い行者像となっている。円空は大峰山寺の如来形座像をはじめ、麓の天川村坪の内 弁財天社の大黒天像、栃尾観音堂の聖観音立像・弁財天・金剛童子・荒神像などの作があり、松尾寺と大峰修験道の歴史を端的に物語るものとなっている。


プロフィール

Author:奈良通信
ご神体山信仰、古代祭祀を求めて、磐座、里宮を訪ね歩いています。 好きなのは三輪山、初瀬、飛鳥、吉野、大峰、葛城の山々です

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